カラダの“声”を誤解されない様に書くこと・・・・・、カラダを信頼して欲しい。

 

私たちは日常・・・・さまざまな感覚があり、

感情が反応する。

 

その先・・・・・

『感情』に行くか、

『作業』に入るか。

 

この場合の『作業』は、

そのことで何を考えるのか。

自分のどんなことが“反応”するのか。

この様子は、感情的に捉えることではなく、

あくまでも『作業』。

 

私たちは何次元とも言われる世界の中に住んで居る。

立体的=3次元 と思い決めることは無い。

あらゆる状態で、沢山の次元に関連しているのだから。

 

たった○○年生きてきた経験からイメージしている

感情に“今”経験したことについて抑え込むコト・・・・。

大変な労力だと察する。

 

ただ、困惑した感情の渦の中で、

真実・本質などを消し去り生活している現社会で

麻痺をしていることで、苦しみから抜け出せない状況を

抱えてしまっている方々があまりに多い。

 

心理だとか、ではなくて・・・・

『習慣』によって自分の本質に触れていくしかない様に思える。

 

カラダの声を聴く機会が多いと、

カラダとは全く違うベクトルで、

その方がたは、欲望や執着からくる意志に

カラダを支配してしまう。

 

どこかの時間軸で、

いつでも「やり直せる」「新たに変更する」コトは

可能な素直さをカラダは持ち合わせているのだが・・・・・

支配欲から抜けることを“したくない”という意志。

 

誰かと“戦う”だけではなく、

自己と“戦う”コトを選択してしまう。

 

戦いを辞めるための生活への考え。

それが一番必要な『ヒトとしての態度』ではないのだろうか。

カラダと対話する日々の中、

痛感している。

 

時折、ブログを借りて・・・・・

カラダの表現をこっそり・・・・打ち明けて行こうと思う。

 

自然の一部であるカラダへの信頼は

向き合うことから始まる。

そんなことを無視された弱者として沈黙をしている様に

誤解(カラダを)をされない様に。

カラダの“声”を。

 

 

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