ココロの中のお社 te tu ga ku@taiyo

フュージョン・ヒーリング(R)

フュージョン・ヒーリング

 

私たちはトカク、ココロに向かう時間よりも

目に入るものにココロを持ってかれる。

 

それは、対外的な自分の見え方が気になる。

気になることに全生命を注ぐ。

これは・・・・『誰か』からして個人の考えだけではなく

人生の時間も支配されている状態と言えよう。

 

モノの考えの中に、『他者から見てどうだ』の部分は必要だけど、

全てがそのモノになってしまうと、

本人の人格とか、人間性はカタチを無くす。

ココカラ発生した『気配り』『思い』『親切』は、ココロの無いカタチだけの行為。

ある意味、コントロールする手法としてのカタチになっていく。

 

近年、あらゆる『手法』だけが出回っていて、競い合っている。

そこに『ココロ』が抜けていることを気付く前に、他の手法を探している。

 

上澄みだけの理論や手法では生きていけないと叫んでいた時代も

今となっては、セピア色。

 

でもね、

寂しさ、空しさ、ココロの疲れ、生きる目的(?)の様なもので

個々に実感しているんですよ。

誇りに塗れたセピア色の『上澄みだけの理論や手法では生きていけない・・・・と叫ぶ』気持ちが。

本当は必要なのかも・・・・・。

探しても、探しても、見当たらない『幸福感』ってどこにあるの??って。

 

表に見せたい自分だけでは・・・なんだか寂しい。って。

 

キーワードは『繋げる』です。

 

ココロの中の神聖な意識のある所を“お社”だと思って、

大事にしている部分を意識することって、

誰が・・・・ではなくて、自分しか見つけられない。

 

そして、その神聖なるお社には清いココロが眠っている。

 

そのココロの“お社”と、自分の生活面とを『繋げる』ことを

意識するココロを育てること。

そうイメージする時、『誰か』と言う第三者が入ってきますか?

『誰か』にお社を建ててもらいますか?

そのイメージは、静かであり・・・安定していて、

雑音の無い、澄んだ空気であると思います。

 

また、日常をそのイメージと『繋げたり』『重ねたり』『関連したり』と

結ぶ意識が・・・・・・ココロのままの精神です。

 

『無理』だと思うことに支配されない様に、

する行為が『気配り』であり『もてなし』です。

(諦めるココロ、決めつけのココロ、には・・・・『気配り』『もてなし』の本質がなく、

感情の支配力に食われてしまっている)

 

ココロの“お社”・・・・その存在に出逢うのは、

一人ひとりの『ココロの関わり』の中で見つけられる神聖なもの。

誰もが、共通して持ち合わせているものであり、

お金があるから、ないから・・・・でもないし。

親がいるから、いないから・・・・でもない。

必ず一人ひとりが持っている。

 

それとの関わり方それ自体が“アイ(愛)“になる。

 

一人ひとりが“アイ(愛)”に目覚める・・・・と、妬みや苦しみを持たなくて良くなる。

ココロのお社の存在が皆様に届きますように。

 

深謝

 

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